「土木は100年構造物」と言われ、ビルや住宅など「建築」と比べて遙かに寿命が永いのが特徴です。それゆえ、将来に備えた「仕込み」が為されることが往々にしてあり、長い年月の後に役に立つこともあれば、いつまでも「仕込み」のまま朽ちてゆくこともあります。今回はそうした土木構造物に見られる「仕込み」について見てみましょう。
今回注目してみたのは本線の野田駅です。ここは1961(昭和36)年に竣工した、阪神電車では戦前に竣工した御影付近の高架線に次いで二番目に古い高架です。主要部分は4柱ビームスラブ方式の鉄筋コンクリートラーメン高架橋で、ホームは島式2面で有効は長は約120m(19m車6両)、上下本線と各々副本線(待避線)を有しています。
「仕込み」その1:神戸方へのホーム延伸
阪神電車の主要駅においては、将来の編成両数増加を見越してホーム延伸が可能な構造になっていることが多く、戦前に建設された梅田駅や三宮駅では小型車8両分のホームが建設され、結果的に大型車6両にまで対応することが可能でした。戦後の主要駅においては当面6両、将来的には8両から10両対応が可能なよう計画されました。前述の通り野田駅は現状では6両対応ですが、ホームから神戸方を眺めると、本線と副本線が合流する分岐器まで随分と距離があり、2両程度のホーム延伸が可能と思われます。
いつでもホーム延伸できまっせ!といった余裕しゃくしゃくの神戸方。エレベータ下のコンクリート部分は、竣工当時にあった地上への階段を塞いだ痕です。90年代の駅改良で階段は移設されエレベータが設置されました。
少々見にくいですが、階段が現在の位置になる前(1989年)。神戸方ホームの幅いっぱいに階段がありホーム延伸には障害となっていました。
「仕込み」その2:大阪方へのホーム延伸
ちょっと見た目では分かりにくいのですが、大阪方においてもホーム延伸対応と思しき形状が観察できます。神戸方と合わせれば10両対応の仕込みだったんでしょうか、とはいえ実現には少々追加工事が必要のようです…。
大阪方は分岐器の間近までホームが設置されていて延伸の余地はありませんが、高架構造物は少し幅広に築造されており、その先の高架を継ぎ足せば大阪方にも延伸が可能なように推測されます。
幅広高架部分には、ここにレールを敷け!と言わんばかりの突起が並んでいますが、一体何なんでしょうねぇ。
2020/7/7追記:おっさん様からのご教示によれば、この突起列は、高架化初期にあった広告看板の基礎とのこと!ありがとうございましたm(_ _)m
幅広高架の端部を地上から見るとご覧の通り。お隣の高架構造物は将来の拡幅を見込んでいるようには見えませんが、浜側の用地は広めに確保されています。
「仕込み」その3:東改札の仕込み
かつて某サイトにも掲載されご存じの方も多いでしょうが、元々大阪方に東改札を設置する計画があり、一説には至近に地下鉄駅が予定されていたとか。その東改札とホームを連絡するための階段と通路の仕込みが今でも残っています。
阪神バス待機場の上空、軌道部分はPC桁ですが、ホーム下は通路を設けられるよう鉄骨トラス構造になっています。ホーム床版には階段を設けるための開口もあり、現在は鉄板で塞がれていました。
ホーム上屋を支える鉄骨柱が、階段予定箇所の部分だけ2本柱になっています。
おまけ
野田と言えば上り本線に防振軌道が試験採用されているのも特徴です。本格採用は出来島付近の高架化で、その後西宮市内や東灘立体で全面的に採用されています。
野田高架線の完成から50年、先を読んだ筈の仕込みはいまだ日の目を見ておりません。今後実を結ぶ可能性もあまり無いようにも思えますが、当時の設計者が何を考えていたのか、その将来像に思いを馳せるのも一興ではありませんか。