戦前に阪神電鉄が構想した「急行線(第二本線)」計画において、御影駅は在来線と新設急行線が分岐する駅として計画されました。現在も上りホームの山側に残る「使われていないホーム」は、急行線と在来線の乗換ホームとして計画された名残です。
今も残る乗換ホーム。貨物用として使われたとの説もあるが、地上への昇降設備も見当たらないので不詳である。
ホーム縁端は中央部が大きく削られており、線形の変更があったことを偲ばせる。
キュービクル置場に利用されている、小ぢんまりとした上家。屋根形状も在来線のそれとは異なる。
神戸寄りの柱には突起が3か所あり、梁を切断した痕跡のようである。
上家よりもさらに西、ホーム中ほどに建つ鉄柱。赤丸部分に曰くありげなブラケットの痕跡が。
当該部分の拡大。左右の突き出しは上家の突起と同様に、何かを切断したよう。中央はリベットを抜いた穴だろうか。
当該鉄柱を背面(山側)から見ると、不思議な形状の突起がある。
上家の鉄骨と比べてみると、屋根を支えるブラケットと似た形状である。つまり、この鉄柱が上家の柱を兼ねていたわけだ。
ホーム面をよく見ると、柱を撤去して埋めた痕跡もうっすらと見て取れる。
というわけで、この乗換ホームの上家は元々は東西3径間ほどあったもので、何らかの理由で西側2径間が撤去されたものと推測されます。
「輸送奉仕の50年」所収の、戦後間もないころの御影駅。乗換ホームの上家が鉄柱の西側まで伸びている.。ちなみに、乗換ホームの山側に建つ八角形?の建物は旧信号扱所と給水塔(現在の花屋さんの辺り)。
この写真の後の大規模な施設改良といえば、上りホームの有効長延伸が考えられ、その時点でこの乗換ホームの改修が行われたのではないでしょうか。