昭和の後半から平成にかけて、阪神電車の駅の標準スタイルだった「地下駅舎」をご紹介します。
地下駅舎とは、地平の上下ホームを連絡する地下道に改札を設けたもので、阪神電車に限らず、私鉄ではよく見かけるスタイルです。しかし高架化、地下化の進捗や、バリアフリー化に対応困難なことから、阪神ではその姿がめっきり減ってしまいました。
地平時代の青木駅。地上に駅舎は無く地下道への入口があるだけ(2003年)。
地下駅舎が生まれたきっかけは、保安度向上と経済性向上が大きな理由でした。それまでは上下ホームにそれぞれ改札を設けるか、地平駅舎から構内踏切を渡ってホームへ行く必要がありましたが、高頻度運行を行う阪神電車では踏切の遮断時間も長くなり事故の危険もあったため、軌道を立体的に横断するための地下道が建設されたのです。そして、その地下道に改札を集約することで、駅に勤務する係員の数が減らせるという合理化の効果もあり、昭和30~40年代に建設が進められました。
現在、阪神電車で地下駅舎が残るのは芦屋と久寿川だけですが、かつては魚崎、青木、深江、打出、鳴尾、尼崎センタープール前にもありました。
地下駅舎の建設イメージ。阪神の地下駅舎の特徴は、ホームから地下への階段の途中にホーム下の空間を活用した踊り場を設けていること。これにより、地下道躯体工事の掘削量を少なくできた。
現存する地下駅舎:芦屋
地下道に設置された券売機と改札。手前には芦屋市役所方面への地下道とも連絡。
下りホームからの階段は、途中の踊り場でレール方向から枕木方向へ向きが変わる。
その階段上部、斜めになった地下道躯体がホームの下、線路をギリ躱(かわ)しているのが見える(黄矢印)
久寿川
名神高速道路との交差のため高架化できない久寿川駅は、当面地下駅舎が健在。
近年、エレベータ設置に伴い券売機室などの配置が変わり、美装化も行われている。
思い出の地下駅舎:魚崎
普通列車しか止まらない駅でしたが、六甲ライナー開通に伴う乗換利便のため橋上駅舎になりました。
橋上駅舎の工事が始まった直後の魚崎駅(1989年)。
地下駅舎の躯体は、改修の上、今も神戸市の地下横断施設(市道)として活用されている。
青木・深江
鳴尾
鳴尾連立事業に伴い高架化。>以前の記事ご参照
打出
地平駅だが高架化等の計画が無いため、バリアフリー改修が行われた。
地下駅舎に降りていた階段が半分残されており、駅の南北を連絡する地下道として利用されている。
地下道は上下ホームを連絡する地下道も兼用。踊り場の段差解消のため設けられたスロープの足元に、自動改札があった頃の滑り止めブロックが見える。