阪神電車で使用されている橋梁や陸橋には、その構造によりトラス橋やガーダー(桁)橋など様々な形式がありますが、今回はあまりお馴染みではない「ゲルバー橋」(ご存知でしたら失礼!)についてご紹介しましょう。
ゲルバー橋とは、オーストリア人技師ハインリッヒ・ゲルバーが1867年にドイツ・マイン河の架橋に際して考案したもので、3径間橋(橋台と橋脚の「間(径間)」が3つある橋)の中央の径間に2つの「ヒンジ(結合点)」を設けた橋の形式です。2つの橋脚から片持ち式の桁を張り出し、その間に吊桁と呼ばれる単純桁を載せることにより、構造解析の難しい多径間の連続橋よりも簡単に長スパンを実現しうる橋梁形式として、欧米で急速に普及しました。英語では片持ち梁を意味する「カンチレバー橋」とも呼ばれるこの橋は、有名どころでは英国のフォース鉄道橋がお馴染みで、身近な事例では大阪港に架かる「港大橋」などがあります。戦前の日本に於いては中スパンの橋梁や陸橋にも採用されましたが、一方で桁のジョイント部分が増えて製作にも手間が増えるという欠点があるため、戦後は構造計算技術が進歩し、高張力鋼材の入手も容易となったことから、こうした中スパン橋では連続桁が採用されることが多くなっています。
代表的な桁橋(ガーダー橋)の種類。ゲルバー桁の赤丸部分がヒンジ
阪神電車に現存するゲルバー橋は本線の「武庫川橋梁」と「阪神国道陸橋」で、いずれも大正から昭和初期にかけて建設された中スパン橋です。今回ご紹介するのは武庫川橋梁です。
武庫川橋梁
「川の上にある駅」として知られる本線の武庫川駅ですが、1905(明治38)年の開業当時は駅(停留所)は尼崎市側の堤防上にあり、橋梁も現在より少し下流寄りに架けられていました。しかし輸送量の増加に伴い駅を拡張する必要に迫られ、また武庫川左右岸の尼崎市、西宮市双方からの利便性を考慮した結果、1921(大正10)年に現在の位置に新しい橋梁が架けられ、併せて駅ホームも武庫川上(改札上家は尼崎市寄り)に設けられました。1984(昭和59)年の武庫川線延伸の折には改札内の連絡通路が整備され、西宮市側にも改札が設けられて現在に至っています。
武庫川橋梁は河川部分が3径間ゲルバー桁×2、左右岸の河川敷部分がそれぞれ3連の単純桁と右岸1径間のRC床版で構成されており、交差角は90度、全支間長は約196mです。2連の下路式ゲルバー桁は前後の単純桁がいずれも約20m、中央部の吊桁が12mの三主桁です。
武庫川橋梁の中央部全景。門型架線柱を挟んで東西3径間にそれぞれ一つのゲルバー桁が架かる
下りホームから見た2連のゲルバー桁。3本の主桁で複線軌道を支える「3主桁」
ゲルバー桁の見どころはヒンジ部分。右の桁(片持ち桁)と左の桁(吊桁)が組み合わさっている
河川敷から見た吊桁部分。左右から伸びた片持ち桁に中央部の吊桁が乗っかっている
中央部の橋脚。武庫川上流のダム建設に伴い流入土砂が減ったため、洗掘対策として補強工事が行われた
次回・後編では「阪神国道陸橋」をご紹介します。