震災で復旧された高架橋を見る(御影~西灘)

施設 By ぐんじょう

新在家駅から花園陸橋にかけての約400mの区間では、損傷を受けた高架橋が修復されました。そのうち、新在家陸橋以西の約100mに渡っては火災による損傷も受けている箇所があります。

火災による損傷を受けた区間の復旧前と復旧後の様子です。

【復旧前】

震災で復旧された高架橋を見る(御影~西灘)
撮影:鷲羽

【復旧後】

震災で復旧された高架橋を見る(御影~西灘)
撮影:鷲羽

比較用

震災で復旧された高架橋を見る(御影~西灘)震災で復旧された高架橋を見る(御影~西灘)
撮影:鷲羽

 

復旧後の電路設備の支持物(架線柱)は耐震性にすぐれた鋼管柱となり、鋼管柱建植用の躯体張出しが新たに設けられていることがわかります。

 

「花園陸橋」は神戸方の橋台ラーメンの柱が損壊したため落橋しました。

 

花園陸橋付近から大石駅にかけての区間ではラーメン高架橋が500m弱に渡って崩壊しました。崩壊した高架橋では、柱より上部が新設されて復旧されています。

震災で復旧された高架橋を見る(御影~西灘)
画像提供:神戸市 (CC BY 2.1 JP)

 

「将軍通陸橋」は神戸方と大阪方の両方の橋台ラーメンの柱が損壊したため落橋しました。震災前と同じく上路鋼鈑合成桁での復旧になっています。

 

下の写真には、落橋した「将軍通陸橋」が復旧過程で撤去されている様子が写っています。

震災で復旧された高架橋を見る(御影~西灘)
写真提供:神戸市 (CC BY 2.1 JP)

大石駅の損傷したラーメン高架橋は復旧されて現在にいたります。

 

「国魂陸橋」は大阪方の橋台ラーメンの柱が損壊したため落橋しました。震災前はPC桁でしたが、復旧に伴う桁の新設によって鋼単純合成箱桁に形式が変わっています。

 

西灘駅手前の擁壁盛土が連続する区間では、被災した石積擁壁が補強土擁壁として復旧されている箇所があります。

 

西灘駅手前の「阪神国道陸橋」は落橋しなかったため震災前と同じ桁が現在でも使われていますが、橋脚は地震で損傷を受けたため新製されました。(関連:『阪神のゲルバー橋(後編/阪神国道陸橋)』鷲羽さん )

復旧について

高架橋の復旧までに時間を要したのは地震による被害が大きかったのがもちろん最大の要因ですが、本格的な復旧の開始にあたっては高架下テナントの撤去についての交渉をすすめる必要があったことや、もともと幅員の狭かった沿道に家屋が倒壊したため工事に使うスペースを確保しずらかったことも復旧に時間がかかる要因となりました。高架橋の新設といった本格的な復旧が始まったのは3月半ばで、そこから3ヶ月後の6月半ばに当該区間が開通しています。

あとがき

この記事では駅部を除いた高架橋に焦点を当てたため、震災で大きく造りかえられることになった石屋川駅や西灘駅、そして石屋川車庫の復旧については本記事では紹介しませんでしたが、また改めて紹介できる機会があればと思います。

震災で大きく被災した「御影」~「西灘」の復旧に数多の方々が尽力されたことを考えると頭が上がりません。

参考文献

阪神大震災調査委員会,社団法人地盤工学会(1996)「阪神・淡路大震災調査報告書(資料編 Vol.4)」

神戸市震災復興本部総括局復興推進部企画課(2000)「阪神・淡路大震災 神戸復興誌」

鈴鹿隆英(1995)「阪神本線石屋川駅付近の復旧について」『土木学会誌』80巻10号 54-55頁

龍岡文夫,古関潤ー,舘山勝(1995)「阪神大震災における土構造物の被害状況(鉄道編)」『ジオシンセティックス技術情報』1995.7 pp9-19

阪神電気鉄道(1995)「全線開通は6月26日です。」『みなさまの足 阪神電車』1995.6

 


カテゴリー:施設,構造物

ぐんじょう

電車って難しいですよね。いや、ほんとに。


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