戦前の一時期、阪神間においては阪急電鉄と阪神電鉄による路線免許がまるで競争のように出願された時期がありました。今回ご紹介する「海岸線」もその一つで、元は阪急電鉄の南進計画を阻止するべく、阪神今津から中津浜(浜甲子園)を経て尼崎市の臨海部を経由し阪神出屋敷に至る路線として免許を受けた「今津・出屋敷線」の一部で、1929(昭和4)年に出屋敷~東浜間1.7kmを先行開業させたものです。当時、東浜には阪神電鉄直営の火力発電所があり、その送電ルートの用地を活用して開業させたと考えられます。
営業当時の高洲付近(社史「輸送奉仕の五十年」より)
結局、今津・出屋敷線はほぼ未成に終わり、海岸線は戦後の尼崎市臨海部の地盤沈下によって1951(昭和26)年に高洲~東浜間が運休となり、さらに第二阪神国道(国道43号)の建設に伴って路線が分断されるため1962(昭和37)年に廃止されました。 海岸線廃止から50年余が経過し、私自身も20数年ぶりに海岸線の線路跡を歩いてみました。
1947(昭和22)年の航空写真(右)と現状を比較
出屋敷駅の屋上駐車場から浜側を見ると、国道43号の手前に細長い公園が見える
公園内には阪神の土地境界杭が残るが、比較的新しいように見える。路線廃止後も阪神の管理地だったのか?
公園の道路向かいにも半分埋もれた土地境界杭があった。てっぺんに尼崎市のプレートが貼られている
上の境界杭が立っていた旧線路敷は、2000年頃までは線路敷の面影を残す空き地だった。奥に出屋敷駅と再開発ビル「リベル」が見える(snowlavitさんご提供)
上と同じ空き地を、出屋敷駅側から公園側を見たところ。上写真右手のマンション駐車場の一部と、本写真左の白い建物(地区の集会施設)も線路敷の一部だった(snowlavitさんご提供)
国道43号以南の軌道跡は近年建てられた大型物流センターなどに呑み込まれ分からなくなってしまっていますが、一か所だけ当時の線形を示す道路が残っています。
高洲駅のあった辺りにある高洲バス停。阪神バスと尼崎市内バス(阪神バス)の標識がおのおの立つ
高洲~東浜間を運休させた原因の一つである地盤沈下により、古い民家は道路より一段低い土地に建つ
今に生きる今津出屋敷線
今津出屋敷線計画とほぼ同じルートとして、現在でも阪神バスが阪神西宮から今津、浜甲子園を経て阪神尼崎に至る路線を、一日一往復だけ運行しています。