snowlavitさんの詳細な鳴尾立体工事の追跡記録に関連して、高架工事が始まる前、地平時代の様子をご紹介します。
鳴尾駅と周辺あれこれ
鳴尾駅の所在地はその昔は鳴尾村と称しイチゴの名産地でした。阪神電鉄の当初計画では北寄りを通す計画であったところ、鳴尾村の大地主が土地を提供する代わりにルートを南に寄せたという逸話が残っています。そのため、鳴尾駅ホームも約R600の曲線上にあります。また武庫川学院(女子中・高・短大・大学)の最寄駅でもあり、通学生用に定期券専用改札口が設けられていました。
曲線上にある鳴尾駅ホーム。ジェットカーが身を傾けて停車します(2003年)
阪神の地上駅によく見られた地下改札。構内踏切を廃し、最小限の上下移動でホームに至る構造(2003年)
浜側出口には阪神電鉄の関連会社が運営するパン屋「ヘンゼル」がありました
相対式2面のホームですが、上りホーム上屋は待避線?があった島式ホームの名残を残す形状。左奥は定期券専用出口(2003年)
駅の北側には鳴尾変電所がありましたが、高架工事着手前の2000年頃に用途廃止となりました(1998年)
踏切
事業区間内には6つの踏切があり、特に幅員の広い小曾根線と交差する西開踏切は国道43号にも近く、交通阻害が問題となっていました。
名前がユニークな焼屋敷踏切は、後年の拡幅で踏切道の真ん中に架線柱が取り残されるという面白い形態(silky_jetさんご提供)
八幡前踏切は鳴尾八幡神社の参道で、すぐ横に鳥居が(1998年)
最後まで残った戦前製の特高ガントリー
鳴尾立体の事業区間には、昭和初期に建てられた22KVの特高ケーブルを共架する鉄骨ガントリーが、仮線切替えまで残っておりました。これは開業以来の木製架線柱に代えて昭和初期に建設されたもので、電力会社から開閉所を経て沿線の各変電所に送電する設備で、これが林立する様は阪神電車を象徴する風景でもありました。しかし近年は電力会社から直接、各変電所で受電する方式に切換が進んでおり、戦前製の特高ガントリーは鳴尾立体区間を最後に姿を消しました。※特高ガントリーについては、後日まとめ記事書きますネ。
仮線工事切替間近となった頃、渡瀬橋梁付近の特高ガントリー(2010年)