8000系余話・第1次車出生の経緯

最近何かとその動向が注目される8000系の異端編成8523-8502。その神戸方ユニット8102-8002-8502誕生のエピソードをご紹介しましょう。

阪神電車の急行系車両の中で、今なお114両の最大勢力を誇る8000系ですが、その先陣を切って1984年3月に登場したのが、第1次車と呼ばれる8201-8001-8101+8102-8002-8202の6両編成でした。その後登場する2次車以降では大幅なモデルチェンジが行われ、結果的に異質な存在となってしまったのです。何故このような異端車が登場したのか、その背景をご紹介しましょう。

きっかけは武庫川線の延伸

8000系登場の背景は、同時期に竣工した武庫川線の延伸事業でした。1979(昭和54)年から入居が始まった日本住宅公団(現在のUR)の武庫川団地は、周辺開発を含め9000戸近いマンモス団地であり、その居住者の生活の足として、阪神武庫川線を約1km延伸し利便を図ることになったのです。それまでの武庫川線は、単行電車が1両で走る超閑散路線でしたが、路線延伸と同時に交換設備の新設(東鳴尾)やホーム延伸が行われ、ラッシュ時には2両編成の電車が交互運行されることになりました。これらにかかる費用は、全て住宅公団側の負担で行われました。

3301形単行で運行されていた武庫川線(1982年)

車両増備は本線からの玉突きで

延伸後の武庫川線で必要とされる車両は2連×2で4両、従前の3301形単行と比べ、差し引き3両の増備が必要になります。そこで阪神電鉄では、本線用に6連固定編成の新型急行用車両「8000系」を新造(うち3両が公団負担)し、そこで捻出された2両編成の7861形2本を武庫川線に充当したのです(3301形1両は本線に復帰)。てっきり新車が武庫川線にやってくると思っていた公団側は不満だったようですが、「武庫川線用に新車を作ったら全部運転台付きで費用も嵩みまっしゃろ。本線用なら運転台は1つで済んで公団さんも安上がりでっせ」と言ったとか、言わんかったとか…。ともあれ、まんまと公団負担で本線用の新車をモノにした次第。こう書くといかにも阪神らしいセコさという気がしますが、公団側とて事業費は安いに越したことはありませんから、理に適った措置だったと申せましょう。

本線からの玉突きにより、7861形2連×2編成が延伸後の武庫川線で運行されることに(ツーマン時代・1995年)

一方、新造車8000系のスペックは、前年に登場した更新車3000系で初採用となった界磁チョッパ方式とされ、東芝製のBS-1403-A制御器を搭載し、Tc-M’-Mの3両ユニットを背向連結した半固定の6連となりました。これは、当時5連と6連が混在し、日常的に編成替えが行われていた急行用車両の運用形態を考えると、かなり思い切った設計でした。しかし、そんな機器スペックと比べ、車体に関しては全くと言ってよいほど新味が見られず、在来車の3901形や5001形に準拠した車体設計となりました。唯一の特徴といえば、固定編成ゆえに前頭貫通路を非常用として幌を省略したため、何とも「のっぺり」した表情になり、何やら手抜き設計の印象さえ与える外観となりました。

地上時代の出入橋付近を走る8202(1992年)

在来スタイルを踏襲した理由とは?

しかし実際のところ、当時の阪神社内では次期急行用車両として、かねてから大幅なモデルチェンジ車両の新造計画が進められていたそうで、第1次車登場の9か月後に竣工した第2次車(8211-8212)では、車体設計が大幅に変更されたのはご存じの通り。その気になれば、8201-8202をモデルチェンジ第一号をすることも可能だったと思われるのです。そうしなかった、否、できなかった理由があったと考えるのが自然でしょう。あくまで想像ですが、いわば「ひと様のおカネ」で造る車両ゆえに、コストをかけてモデルチェンジすることが躊躇われたのではないでしょうか。むしろ、在来車に似せて「目立たず、安上がり」が重要だったのかもしれません。

特急板を使用していた8201-8202(1992年)

続く第2次車8211-8212では車体を大幅にモデルチェンジ(1992年)

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この記事を書いた人 :

50過ぎたオッサン。90年代が阪神撮り鉄のピークゆえ、最近のネタには疎いです。